展覧会

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平澤熊一の素描「長岡」

会 期:
2023.07.12(水) - 2023.07.22(土)
時 間:
10:00ー21:00(入館受付は20:30まで)
最終日は12:00まで
休館日:
毎週月曜日


「家族」1945-1950 紙・木炭・鉛筆・コンテなど 個人蔵

見附市にゆかりある作家として、長岡市出身の画家平澤熊一の素描を紹介します。
2019年に同時代に長岡市で活動した画家若井宣雄との2人展を開催し、見附市に大作《南苑》(見附市蔵)が残る画家平澤熊一が、長岡疎開中に描いた素描7点を展示。
長岡市内の懐かしい風景や愛らしいわが子を素早くとらえ描いた素描作品をお楽しみください。


「長岡駅前通り」1940年代 紙・木炭 個人蔵

平澤熊一 KumaichiHIRASAWA
1908年(明治41)現在の長岡市摂田屋に生まれる。
1927年(昭和2)建築士を志して入学した工手学校(現在の工学院大学)を卒業するが、在学中に絵画に興味を抱き川端画学校で洋画を学ぶ。
1933年(昭和8)台湾に渡り、4年間滞在して制作に専念し、1936年には同地で個展を開催した。
1937年(昭和12)帰国。東京・豊島区に住み、麻生三郎、井上長三郎ら新人画会のメンバーと交流する。
1938年(昭和13)中国北京に写生旅行。第8回独立美術協会展に《月と貝》が初入選する。
1940年(昭和15)東京・阿佐ヶ谷に移る。第1回美術文化協会展に入選。
1943年(昭和18)第4回美術文化協会展に《南苑》などを出品し、奨励賞を受ける。
1944年(昭和19)東京・池袋付近に広がっていたアトリエ長屋の1つすずめが丘(要町1-13)に移る。
1945年(昭和20)空襲を避け5月頃、長岡に疎開する。
1950年(昭和25)妻の実家のある宇都宮に移り、市内一の沢2丁目に自身設計したアトリエ付住宅を建設する。ここで絵画研究所を主宰し生徒を指導する。
1951年(昭和26)この年の第15回展から自由美術協会展に出品を始める。以後、1981年の第45回展までほぼ毎年出品を続ける。
1955年(昭和30)第17回自由美術協会展に出品、自由美術協会会員になる。
1971年(昭和46)画集『平澤熊一画集 台湾1933-1937』を刊行。
1973年(昭和48)「栃木県内美術の現況展」(栃木県立美術館)に出品。
1977年(昭和52)「栃木県美術の現況展」(栃木県立美術館)に出品。
1984年(昭和59)「栃木県美術の現在 絵画/映像/彫刻」(栃木県立美術館)出品。
1989年(平成元)12月4日死去。享年81歳。
1990年(平成2)「鬼の業 平澤熊一遺作展」(宇都宮市文化会館)開催される。
2012年(平成24)練馬区立美術館で特集展示「平澤熊一展―うちのめされた時がほんとうに人生をしっかり生きるとき」開催される。
2015年(平成27)栃木県立美術館で企画展「昭和を生きた画家 平澤熊一展」開催される。
2018年(平成30)みつけ市民ギャラリー(ギャラリーみつけ)展示室2にて「見附市所蔵《南苑》公開」開催される。
2019年(令和元) みつけ市民ギャラリー「没後30年平澤熊一・若井宣雄展」開催される。


「農村風景」1940年代 紙・コンテ 個人蔵